director院長紹介

患者様のお気持ちに添って治療し
一人でも多くの患者様に
喜んでいただきたい
医療法人真正会 理事長
まさいデンタルクリニック院長
東京虎ノ門歯周病インプラントセンター長
歯学博士 正井 良幸

こんにちは、まさいデンタルクリニック院長の正井です。
当院では、患者様のお一人ひとりを自分の家族を診るように大切に治療させて頂いております。

患者様のお気持ちに添って治療し、一人でも多くの患者様に喜んでいただきたい。これが「まさいデンタルクリニック」の治療方針です。

当院はもともと、昭和 52 年、東京虎ノ門の現在地に、先代がクリニックを開業しました。 東京歯科大学千葉病院に勤務し、高度先進治療を行っていた私は、平成 5 年から院長職に就きました。

そして一般歯科だけでなく、インプラント治療、歯周組織の再生治療、咬合治療など世界レベルの治療を行っています。
父の代から今も変わらず通院してくださる患者様がたくさんおられ、そのことに心より感謝しております。

「正しい治療をせよ」、「学び続けなさい」、「患者様に尽くせよ」
…私は、亡父の思いを引き継ぎ、温かい治療環境で丁寧に診療し、 患者様の感動を生み出していきたいと考えています。

土地柄、ビジネスマンの方が非常に多いのですが、歯科治療の時間が「お仕事から解き放たれ、 ひとときリラックスしていただけますように」との思いをこめてスタッフ全員でお迎えしています。

幼少期

1963年9月 東京、虎ノ門の金刀比羅宮の近くの産院で第二子、長男として産まれました。虎ノ門には縁があるようですね。
父は歯科医師でしたが、開業したばかりで、住まいも母の実家というマスオさん状態だったので、決して皆さんが想像されるような裕福な家庭ではありませんでした。

幼少期は文京区千石で過ごし、小学校は地元の小学校に通っていました。
1、2年生までは痩せていたので、身のこなしも良く、運動会の徒競走では一位でしたが、3年生頃からブクブクと太り始め(肉の脂身大好きで)、何と4年生の時のウエストは72センチ!!
俗に言う肥満児でした。当然お菓子も間食も大好き!

ある時食事中にいきなり奥歯に激痛が… 虫歯が神経まで達してしまったようです。
父は歯科医でしたが、歯医者の家庭にあるまじき食生活と口腔清掃の悪さ!医者の不養生ってやつですかね?医者歯医者の家庭って、身内の事は結構ほったらかしなんです。
という事で、急いで父のクリニックに行き、神経を取る治療をするはめに…
もう痛くて何も食べる事が出来ない状態だったので、何とかして欲しい一心でした。

初回は麻酔していたので、痛くは無かったのですが、2回目の治療以降は麻酔が無く、時折『ズキッ』っと痛みが走り、それはもう辛くて、思わず『もういいよ~!』と言った記憶があります。身内には結構適当に、荒っぽくなっちゃう所もあったので…。

そんな体験から、幸か不幸か、患者さんの痛みに対する気持ちは人一倍わかります。口を開き続けるのが、どれだけ辛いかとか、根の治療時の神経を刺激された時の痛みと恐怖心とか…。 だから、痛みを殆ど感じさせない治療が出来るのかも知れませんね。

小学校四年生からは、中学受験の為の勉強が始まり、熟だの家庭教師だので、何で俺だけこんな辛い目にあうの?弟は楽しく遊んでるのに!っと辛かった思い出があります。
休みの日に友達の家に遊びに行っていても連絡が来て、家庭教師が来るから帰ってこいと…。その家庭教師が怖い事怖い事…。
出来ないとブン殴られるし、親も兄弟も誰も助けてくれないんです。本当に辛かったです。
なんか遊びに行っていても電話が来るんじゃないかとビクビクしてしまっていて、ちっとも楽しくなかった記憶があります。

今となっては、勉強出来ない子をやらせるには、その方法しかなかったのかも?っとも思いますが…。

肥満児で走るのは遅くなっても、水の中では早く(笑)、プール開きやプール納めの時はクラス代表のリレー選手でした!
また手先の器用さと、芸術のセンスもあったのか、図工は5段階評価の5でした(笑)

勉強の甲斐あってなのか、中高一貫の志望校には合格しましたが、親に、もう塾や家庭教師は嫌だ!っと言った記憶があります。 そのまま高校1年生まで、何に夢中になる訳でもなく、だらだらする〜っと無難に過ごし、いざ進路選択となった時に真っ先に思い立ったのが、パイロットでした。

メカが好きだった私は、あのコクピットの機械に囲まれて、大きなジェット機を操縦する事に物凄く憧れていたのです。
航空大学の資料を集め、さあ親に相談!っとなった時に、両親揃って、『お前は長男なんだから、歯科医師になるんだ!』っと強く迫られました。当時の私には、親に背いてまで自分の道を貫くなんて勇気は無く、渋々その道に進むことになりました。

が!せめてもの反抗で、歯科大なら東京歯科大に行く!そこ以外は行かない!(No.1の歯科大だったので)っと言っていました。 とは言ったものの、高校2年になるまで、なんの対策もする事もなく、仲のいい同級生と共に、『流石にこれじゃまずいよな?』っと言う訳で、代ゼミ夏期講習に通い始めました。やっとやる気になったのかと、親が喜んだのはもちろんですが…(笑)

しかしながら、自分の意思で歯科大受験を決めた訳ではないので、ダラダラした生活がそれ程改まる訳でもなく、好きな科目(数I、数IIB、科学)だけ面白いので一生懸命で、後の科目はテキトー(笑)
。好きこそ物の上手なれと言いますが、数学だけは、クラストップになる事もありました!
そんなこんなで、高3を迎え、ここからはやっと本気で真剣に取り組み、毎日夜中2時まで勉強していました。

その甲斐あってか、見事に東京歯科大に一発合格!
晴れて歯科大生となったのですが、何か目標が無いのです。なんたって、歯医者になる為の大学なので、み〜んな歯医者になるのが当たり前なんですから。
1年生は普通に過ごしたものの、すんなり2年に進級して舐めてしまっていたのか、家にもあまり帰らず遊びほうけてしまい、期末試験23科目ある中で19科目再試験!となる、『マジ留年⁉︎』っと言う状況になり、死にものぐるいで勉強(最初からやればいいのにね)して、何とか全て合格して3年生になれました。
そこからは、もうあんな嫌な思いはしたくないと、真面目で勤勉な学生になり、試験は全科目一発クリア!人間やればできるもんですね…(笑) この時に試験対策方法として、試験日から逆算して今何をすべきか!っと言う考え方が身についたと思います。

この頃からか、父が物凄く勉強していて、いつも中長期目標を立てていた影響を受け、まずは国試満点合格を目標としました。 3年生から始まる総義歯実習では、手先の器用さが功を奏し、学年169名中ベスト10に入る結果でしたし、その後も将来在籍することになるクラウン・ブリッジでも好成績で、友達のも手伝ったりしていました。
5年生後期から登院実習(病院での患者さんへの治療)となるのですが、その時も第1回登院試験をパスした30名に入る事が出来ました! やると決めて真剣になると、結果が出せるものです。もちろん、その為の努力の方法が大事なのは言うまでもありませんが…。

こうして無事に歯科大を卒業し、国試も合格!(満点かどうかはわかりませんが?(笑))、学生時代から先輩よりクラウン・ブリッジ補綴学講座に残らないか?っと言われていた私は、親が早く戻って家業を継げと言うのを聞かず(もうこの時には自分で自分の人生を決める勇気と言うか自信というか…)、大学に残るなら大学院へ行って、学問的にその道を研究して博士になる!っと決断し、クラウン・ブリッジ補綴学講座に大学院生として残りました。
そもそも歯科医師になったのは、親の影響…、親に決められたから…っという選択肢の無い、何とも優柔不断な動機でしたが、卒業するまでに試験の合格ラインの60%歯科医にはならない!やるからにはとことん拘りをもってやりたいという信念のようなものが芽生えていました。

しかしながら、当時のクラウン・ブリッジ補綴学講座は厳しい事厳しい事…。
新人は朝当番で医局掃除、教授のお茶汲み、洗い物などなど。

研究テーマは自分で決めねばならず、昼間は患者さんの治療、診療後は患者さんの口に入れる詰め物や被せ物、入れ歯を自分で作り(当時2年目までは、外注と言って製作ラボには出せませんでした。)

その後テーマを決める為の予備実験をしたりやらで、早く帰れる日はなく、朝、昼、晩飯と学食でした。
毎月1度、大学院研究会と言うのが医局単位であるのですが、予備実験で、これならば!っと思って発表すると、講師の先生や先輩方から沢山の質問責めにあい、結果、「意味ないじゃん?」っで終わりです。

流石にこの時は凹みましたね…。だって毎日夜中まで頑張って、過去にもない研究かどうか図書館で文献を探して確認したり(当時はネットなど無いですから、自分の足で探すしかないんです)したのに、こう言われたんでは…。今の時代では、パワハラとか言われるんですよね?(笑)

当時大学院同期が5人いたのですが、みんな凹んでましたが、ある時、1番中の良い同期が、『正井!俺たちで上を抜いて4年で大学院終わらせようぜ!』っと言って来ました。当時の大学院は基礎系以外、臨床系では4年以上8年未満で、うちの医局ではみんな8年で卒業が当たり前でしたから。
私もその言葉に、『わかった!やろう』っと言った記憶があります。
それからは、学生時代に身につけた考え方で、ゴール設定時期、そこから逆算して、どのタイミングでどこまでの学会発表をして(学会には二回以上発表が必要)どの時期に誰に意見を聞いてまとめて、理論武装して、大学院研究会や学会発表の予演会で全員を納得させて、あの『意味無いじゃん?』を言わせないようにするか。そういうやり方に転換しました。

やはり方法が正しければ結果は出るのですね。5人のうち4人が上に何人もの先輩がいたのに抜いて、4年で大学院を卒業したのです! これはのちのち、どの先輩方からも、『あの学年は頑張った!凄い!』と言われていたそうです。

開業医の世界

大学院卒業後は、父親の待っているクリニックに勤務しました。
当時の受け持ち患者数は勤務している先輩ドクターが退職するため、100名程度の方を引き継ぎさせてもらいました。
他にもう1人先輩ドクターや衛生士さん、助手さんが7、8名いましたから、院長の息子が入って来た、大学病院にいたって大して出来ないだろ?っと言う声を聞いてしまったのです。
まぁ〜当然と言えば当然ですが、大学病院でもしっかり拘りを持って診療していましたし、辛い大学院を乗り切った自信もありましたから、悔しくて悔しくて!
他の先生には絶対負けない!っと言う気持ちが芽生え、自分がまだやった事が無い治療方法でも、当院で出来る治療方法で、その方のためになるならば、何の迷いもなく自信を持って患者さんに説明し、治療の承諾を得る事が出来ました。

そこからが大変でした。なんせやった事が無いんですから。先輩に教わったり、講習会に行って勉強したりで、手先の器用さと相まって、無事に結果を出す事が出来たのです!(当時の患者様、申し訳ありません)
この事が、結果を出せる、より高度な歯科医療の習得方法への自信に繋がりました!
それからはもうがむしゃらに患者様を満足させるべく、より新しい治療法を学び続け、殆どの土曜、日曜は講習会に参加しました。あれ程勉強しなかった高校2年生までの時代からは考えられません(笑)。
ここ数年は、更なる知見と自分の立ち位置を確認すべく、国内に留まらす、ハーバード大学、ペンシルベニア大学、南カリフォルニア大学のコースにもに参加しています。
求めるものはエビデンスに基づき、細部までに拘った世界標準治療! 患者さんのお話を沢山伺って、納得してもらえ、感動してもらえる治療です!

所属
日本顎咬合学会会員(認定医)
ISOI国際口腔インプラント学会会員(認定医)
日本口腔インプラント学会会員
DGZI ドイツ口腔インプラント学会会員(認定医)
日本歯周病学会会員
日本補綴歯科学会会員
OSI(Osseo Skarp Institute)会員
DGZI(Deutsche Gesellschaft für Zahnärztliche Implantologie)会員
EAO(European Association forOsseointegration)正会員
ICOI(International Congress of OralImplantologists)会員
東京 SJCD 会員
デンタルコンセプト 21 会員
日本歯科医師会会員
東京都歯科医師会会員
東京都丸の内歯科医師会会員
略歴
昭和63年 東京歯科大学 卒業
平成5年3月 東京歯科大学大学院
歯学研究科歯科補綴学修了学位取得(歯学博士)
平成5年4月 医療法人真正会 院長
平成13年4月 医療法人真正会 理事長就任 現在に至る
平成17年4月 東京歯科大学 クラウンブリッジ補綴学講座
非常勤講師拝命
第四学年クラウンブリッジ補綴学基礎実習を担当し
現在に至る

※日本の歯科医療の未来を担う学生達を指導するのは私の喜びです。


Chief Staffチーフスタッフ

太田

【参加研修】
日本歯科プロアシスタントスクール


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